アルバムを通して聴いた第一印象は「槇原敬之、ようやく本当に大人になったんだな」と。
これまでアルバムの中に必ずと言っていいほど存在していた、躁に振り切れた悪目立ちをする楽曲もなく、曲全体がアルバムの流れの中、収まるべきところにすんなりと収まっているように聴いて取ることが出来た。
それは歌詞の耳への入りの良さから来ているものもあれば、世間への謝罪、後ろめたさの裏返しめいた臭いがないことからも来ているのかもしれない。
自己のポップスへの感性を、ようやく今の自分のものとしてアップデートしきった感もある。よい意味で落ち着き、自身の作り出すポップスと正面から向き合うことが出来ているとでも言うべきか。
ここでは若い頃のきらめきや繊細さは影を潜めている。しかしそれこそが年相応の大人になったことを意味しているのではないかと。
と同時に、自分とそれを取り巻くあらゆる環境を俯瞰する力を持った強い音楽を作れる大人になったとも受け取れる。
ラストトラックで聴けるその力強い言葉の響きは、人生の指針とも言うべき音楽の存在を、槇原敬之がようやくここに来て見つけたことの証左ではないかと。
邦楽ポップスのある意味における頂点に立つ存在の、その楽曲作成力の膂力をまざまざと見せつける快作、ここにあり。槇原敬之のポップスはまだ死んではいなかった。